私の挑戦
2015年の秋、母との暮らしも1年を過ぎ落ち着いてきた頃、目に留まった雑誌の「私の挑戦」と言うお題のエッセイに応募して頂いた特別賞。
私の中で色んな葛藤が消え去り、母と一緒に過ごせる時間に価値を感じはじめた頃に頂いた賞。自分が選んだ道が間違いでなかったんだと証明書がもらえたようで嬉しく感じました。母だけでなく全ての事に感謝と愛が溢れました。
ご興味を持って、読んでくださり有難うございます。
今、介護中で大変な思いをされてる方も、いつかきっと「無駄ではなかった」と思える日があります。
介護ができずに後悔を抱えている方も、私の場合は親子の縁を持ちながらあまりにも薄かったので、最後に考える時間を頂いたのだと思っています。
母をみてて思いましたが、どんなに身体が不自由になっても・・・認知が入っても・・・人は人の役に立つことが嬉しく感じる生き物の様です。洗濯物をたたんだり、豆のスジを取ったりをおぼつかない手で一生懸命手伝ってくれていました。シャキシャキしていた母の変わりように悲しくなったものです。
誰でも“子供の負担にはなりたくはない”のではないでしょうか?めずらしく頭がハッキリ、可愛がっていたひ孫の名前をきちんと呼べて、「頭の回路が繋がってるな!よかった!」と思った10日後に母は息を引き取りました。
「もう充分生きたから」と言っているような母の死。そういえば「あんたの世話になるなら川に飛び込んで死ぬから」とよく言っていた気丈な母を思い出しました。
別れは、あっという間にくるのです。きっとどんな別れでも残された方は後悔があります。
ただ逝ってしまった方は案外サバサバしてるのではないかと感じました。
母も長年の痛んだ体を脱ぎ捨て、いちばん軽やかな少女時代に戻り満足そうな笑顔を浮かべ私たちをみているていることでしょう。
生を受けたからには、私たちは必ず死ぬのです。
母は私にいちばん大切なものを見せてくれました。私は今、毎日死に向かって歩んでいます。また母に出会えた時、あのあとこんな事があってね!と母が喜びそうなネタを、毎日毎日沢山仕込んで生きています。
最後まで読んでくださり有難うございます。